2020/09/30

1973年冬 東北横断

1973年2月27日

天気が優れす 5泊もしてしまったHさん宅とお別れです
図々しくも5泊もさせていただき ありがとうございました

朝 飲んびりと出発します
東北地方を南北に走る幹線ではなく
東西に走る準幹線・ローカル線に乗車してみます

乗車した列車は
秋田945→702Dきたかみ2号/キハ581516→1216北上 
北上1242→47レ/ナハ112102→1257花巻 
花巻1313→1615D五葉/キハ581507→1824盛岡 
盛岡1953→842D/キハ52151→2141大曲
大曲2151→1623D/キハ581515→2302秋田

乗車した路線は
奥羽線・北上線・東北線・釜石線・山田線・田沢湖線・奥羽線

回ったコースは 日本海から太平洋を見て 再び日本海へ

その間で撮った写真は たったの4枚
急行五葉が釜石駅4分停車中にちょっとホームに降りて一枚 

山田線が陸中海岸走行中に もう一枚

相変わらず 列車乗車中の写真は極力少ない

3枚・4枚目が 1623D(715D千秋・院内から普通列車)に
大曲から乗車して秋田に向かている途中
22:10 刈和野で 1004レあけぼの2号と交換です
撮影データの記録がないのですが フィルムはコニパンSSなので

1/15 or 1/30程度のシャッタースピードではないでしょうか

朝出発した秋田駅に2302着
駅まで送ってもらったHさんが改札に顔を見せてくれました
私は これから夜行に乗車 まだまだ続く 東北旅行です

明日は五能線に行ってみよう と思います
今夜は車中泊です
秋田から 404レ津軽2号 に乗車します
五能線に行くのに 反対方向の列車に乗車なのです

秋田2320→404レ津軽2号/オハフ452009→208新庄
夜中の2時過ぎ 新庄駅で下車です

2:08 新庄駅 404レ津軽2号

 深夜の新庄駅構内は ライトに照らされて構内作業が行われています
DD51

キハ20

DD51+FC

夜中なのに C58が構内を動き回って入替作業をしています





夜中の新庄駅下車の目的は 夜行列車の乗り換えです
秋田から 上り津軽2号で 208新庄で下車 259発の下り津軽1号に乗り換えて
もう一度秋田方面に向かいます

2020/09/28

1973年冬 羽越線 3

 引き続き 

道川駅付近で 羽越線列車と日本海を楽しみます

814M  羽越2号 キハ58他

ED75 700+コンテナ


501レ きたぐに EF81+オユ11+スロフ62+PC他
大阪発 青森行の きたぐに
寝台特急 日本海 が誕生するまでは 急行 日本海 でした
その 急行日本海  
時刻表からこの世界に入った きっかけの列車でした

大阪を夜出発して 昼間日本海沿いを走って 翌日の夕方青森に到着する 

この列車の出発から到着までを追いかけるには
時刻表の 東海道・北陸・信越・上越・羽越・奥羽 と 
たくさんのページをめくらなければならない
こんな些細なことが この列車に興味を持った始まりでした
中間には ナハ10か11 が組み込まれているようです

838レ 秋田1303新津2055 EF75743+5PC




833レ 新津539→青森1941 ED75 725+PCオハフ33
前年の夏 新津から東能代まで乗車した833レ
その時のけん引機関車は 羽越線電化開業練習期間中だったので
新津から酒田まで EF8168 
酒田から DD511 でした
この日は何とか天気が回復して 日本海と列車の写真が撮れたようです
鉄人はここまで

山の中の新空港に移転前の 海岸線にあった旧秋田空港
全日空 YS11  後ろ姿の車は ブルーバードU

Hさんの自宅に図々しくもすでに4泊しています
あまりに図々しすぎるので 今晩を最後に明日の朝は出発して
その他の目的地を訪れましょう


2020/09/27

1973年冬 羽越線 2

 1973年2月26日

やっと天気が改すくしてきたのでしょうか
やや明るく薄日が射しているような雰囲気です

2044M いなほ2号 485系 


雄物川左岸から下浜方面に移動です

829レ ED75 700番台
最後尾はオハフ32でしょうか 
当時の使用フィルムは 大イベントでは トライX ASA400
100フィートが3500円位だったので 36枚長さに切断すると20本 175円/本 
普段は 一番安価な コニパンSSイージーローディング ASA100
パトローネに入っていない廉価版のパッケージで 36枚撮りが100円でした
ASAはフィルム感度で 今のISOと同じです

ED75 700番台

冬の雲に覆われたこんな天気だと 1/125か1/60 F5.6 がやっとなので
被写体ブレと未熟者の手振れで 列車や機関車が止まらないので 
機関車番号・客車番号を写し込むのも大変です

ED75 713
少しでも日差しが出てくれば 1/250までシャッタースピードを上げることが出来
かつ 大写しにすれば ナンバープレートも読み取れます

さらに移動して
道川駅付近の丘の上から 日本海をバックにした羽越線の列車です

811D 羽越1号 キハ56+58系
先頭車は キハ26 のようです
左から(後ろ)から2両目は キロ25 でしょうか  最後尾はキハ58

ED75 705

遊んでいる と云うより 迷いながらシャッターを押している のが見え見えです
緩急車(車掌室) これが最後についていると 貨物列車 って感じがします

2軸貨車で編成され最後尾には緩急車を連結した 今ではすでに見ることが出来ない
昔ながらの貨物列車を見送ります


2020/09/26

1973年冬 羽越線 

1973年2月23日

間の日の夜 2043M いなほ2号 で秋田入り
Hさん宅に泊めていただき
この日は Hさんの自宅の車Subaruで 鉄遊びです
まず秋田運転所

DD511009 ED75719

記録では 23日の行動はここまでしか書かれていません
一日中運転所を見ていた訳でもないし さあ 何をしていたのでしょう


1973年2月24日

朝から羽越本線 雄物川橋梁 へ出かけました

羽越本線 荒屋ー羽後牛島 雄物川左岸
8時頃 801レ 鳥海 上野2114→秋田816 EF8152+PC
この日の鳥海の編成は
EEF8152+ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・Bネ・Bネ・Bネ・Aネ・ロ・ニ だったようです

8時30分頃 4001レ 日本海 EF81+20系寝台客車
この当時の編成
EF81+Bネ×6両・シ・Bネ×4両・Aネ・ニ
ですが 写真では Bネしか確認できません
そして 機関車番号が着雪で隠れて確認できません 残念

羽越本線 道川ー下浜

10時頃 803レ 天の川 上野2238→秋田1024 Bネ

何かの失敗で 機関車と最後尾車両 だけの記録でした
何かの失敗で 中抜けなんですが 何だったのでしょうね 

11時過ぎ頃 2044M いなほ2号 秋田1050→上野1823 485系
尻切れ
この日はHさんの誕生日
レストランでの食事会に私も招かれて一緒に誕生日をお祝いしました
妹さんからプレゼントをもらって楽しい日だたでしょう
実は私も妹さんから おすそ分けを頂きました
寒い日には手袋を貸してくれたり 毎晩布団を敷いてくれたり
やさしい妹さんでした  

1973年2月25日

翌日の秋田市内は 雪

日本海もちょっと荒れています

Hさん のカメラは ニコンF  いまだに日本の名機です


秋田第一号鉄道飛砂防止林 鉄道記念物 だそうです

天気が悪くて線路際遊び断念だったようです
この日もこの後の記録がありません