2018/04/30

春の北アルプス 涸沢3

◆ 4日目 

いよいよ最初のアタックです。
BC/涸沢ヒュッテから白出のコルから奥穂高岳,
そして涸沢岳をめざしてBCへ戻ります。


夏,雪のない季節はザイデングラートの岩場を登りますが
積雪期はザイデングラート寄りの谷を登ります。

5月1日 快晴
3:00  Ksさんの一言で全員起床
5:00 白出のコル,奥,涸沢岳目指してBCを出発
途中,Skさんのアイゼンが緩むが占めなおして再び歩く。

コルまで3時間 30分歩き5分休憩のペースで登ります。
休憩地点から下を見ると 「涸沢テント村」 がゴマ粒のように見えます。

上は まだまだ遠くに見えるコル

後ろには 前穂高岳が同じ高さに見えてきました。
左から 8峰,7峰,6峰,56のコル,5峰,4峰,34のコル,
                    固まって3峰,2峰,ピークが前穂高岳

登頂間際に先行して行動を記録します。



7:55  白出のコル着
最後の直登を8mmとカメラに収める。 風が若干ある。 
昨日の夜,奥穂に登るのは経験者5名と決めてあったので,
新人2名は白出しのコル待つ。

8:05  5名,奥穂に出発。 
SkさんとNkさんはコルで待機,時々冷たい強い風が吹くが,
    コルからの展望を満喫する。

白出しのコルから奥穂を見ます。 左端に前穂が見えています。

登ってきた涸沢側とは反対側を,奥穂山荘の屋根越しにみる笠ヶ岳

 若いしスリムだね


9:45 奥穂から5名,コル着。 
       上は雪が少なく,ジャンダルムにも涸沢岳にも雪は着いていない。

10:30 涸沢岳めざしてコル発。 
積み木のような岩場と所々にある残雪に滑りはしないかと足がすくむ。
ただし私一人だけが足がすくんでいるらしい。
10:50 涸沢岳着 
槍ヶ岳がきれいに見えるとともに,素晴らしい展望だ。




 





11:05 涸沢岳
11:20 コル着
11:30 コル発 下山にかかる。
   最初は30度近い斜面に足がすくむが,
    昨日の雪上訓練通り滑っても止まるので楽しくなりだす。
   みな,グリセード,シリセード,etcで楽しく下山する。
   途中,Stさん,美女(たぶん)に頭をけられ,
    Ikさんが滑り落ちるのそ美女を捕まえて止める。
   そのあと,StさんOyさん2人がBCまで美女に付き添う。
12:15 BC着  
        テント前にグランドシートを引いてベーコンを焼きながらビールで乾杯。
   ベーコンの油で煮干を焼くとこれもうまい。 そしてフランスパンにかじりつく。
   穂高を見ながら,雪上で昼の宴会。 最高の午後
   顔が日に焼け始める。

雪の上にグランドシートを敷き,午後の酒盛り
ブロックのベーコンをスライスして焼いて食べる これは最高だ。

暇つぶしにブロックの補充

Skさんはスキーを持ち上げてカールで滑走を楽しむ

コルに沈む太陽


16:00  夕食の準備にかかる。 本日の献立は水炊き。
    レッドを飲みながら話が弾む。 Wさん編集の歌集を全曲歌おう,
   と歌い始めるが 半分くらいでギブアップ, 明日に残す。
        雲が若干出始める。 
        天気図を見ながら明日の天気を予想するが低気圧が接近している様子。 
     一応4時起床とする。
22:00 就寝

つづく

2018/04/29

春の北アルプス 涸沢2

◆ 3日目

春山合宿 涸沢 三日目です。
山の朝は日の出前に始まります。 今日は3時起床です。

今日の予定は 横尾から涸沢 いよいよ涸沢です。




4月30日
3:00   起床, Ksさんの一言で全員起床, 昨日の雪で再び銀世界となる。
      快晴, 無数の星がすばらしい。
























寝起きにしっかり朝食を食べて,荷づくり,テント撤収して
いよいよ今回の目的地 涸沢に向けて出発します。


屏風の頭
ぐるっと左回りに当回りして 屏風の頭の右下まで回り込みます。

5:45   横尾発, 重い荷物をしょって涸沢を目指す。 新雪がまぶしい。
9:00   涸沢ヒュッテが見え始める。 30分歩き,10分休みのペース。
9:30     涸沢ヒュッテとテントがまじかに見える。
      あと少しということでパイナップルを食べる。
             甘くてうまい。 30分の大休止。


重たい荷物を背負っていながら パイナップルなどという重たいおやつ持って登る 
この方たちはちょっと狂っている,といってもおかしくない 
とはこの時はまだ気が付かなかった






10:30  涸沢着, 初めての人が2名, 再びやってきた人が5名, 
      感嘆の気持ちで設営場所を決め, 一服後, 幕営にかかる。    
      ブロックを積み終えたところでビールで乾杯。 
      雲一つない快晴が続く。

左から 前穂岳だけ,つり尾根,奥穂高岳

左から つり尾根,奥穂高岳,白出しのコルをバックに整地作業

後ろは前穂高岳 真ん中右のピークが7峰,6峰,鞍部が56のコル,右端が5峰 
記録には「ブロックを積み終えてビール」と書かれているが
本当にブロックを積み終えて??? かなのビール中


14:45  やっと幕営完了。 あらためてテントの大きさに感心する。
   となりで幕営中の人たちの「軒先でも借りたい」との小声を耳にする。

接地完成のテントと大カールを見る 
後ろは左から 奥穂高岳,鞍部が白出しのコル,コルの下に見える岩がザイデングラード
涸沢岳,ピークが涸沢槍,
最低コル,北穂高岳南峰 その下が涸沢小屋

初めての涸沢,そしてこの圧倒的な景観
なのに到着したこの日,周囲を写した写真がないのです。
疲れて余裕がなかったのか,設営なので忙しかったのか,景観に圧倒されたのか



16:00  雪上訓練, アイゼンがうまく固定できない。
    直登, トラバース, 滑落防止など基礎的な事項を新人2名を中心に行う
18:30  雪上訓練終了

基本的な歩行(登る,下る,横切る,斜め上り,斜め下り)のほか
滑落時のピッケルを使った停止方法などを2時間ばかり練習
荷は背負っていないから,まあ何とか出来たけど
大きな荷を背負っていたらどうなるのだろう? などとは考えないことにしよう。

19:00  Smさんが先に戻り夕食の支度をしてくれていたので, 
    訓練終了後すぐに”レッド”で乾杯し, 炊き込みご飯をほうばる。 
    初めての涸沢の夜は深まる。

21:00  就寝

つづく

2018/04/28

春の北アルプス 涸沢

今日から春の連休
この時期になると思い出すのが 春の涸沢

今登る山は 大磯高麗山  そんな軟弱な私も 
昔は北アルプスにに南アルプスにも,テントと食料を担いで登っていたのです。
そんな中でも一番の思い出は 
5月の連休に、何度か通い続けた春の涸沢  です。

初めての涸沢登山は,1977年4月29日から5月5日
すでに 41年前 なんですねぇ~

その時の記録が掲載された「年報」があります。

手書きのガリ版印刷と 今では全くお目にかからない冊子です。 年報に記載された当時の記録を振り返ってみます。 
赤色文字が年俸からの転載、当時の文章のまんま、です)

◆ 一日目 

春山合宿 記録 
北アルプス涸沢   昭和52年4月28日~5月5日

参加者 CL:Stさん SL:Oyさん 
    Ikさん Ksさん Smさん Skさん Nkさん 

4月28日 
17:30  1週間前からの装備点検,パック等にて準備は前日までにすべて完了。
      Oさん,Aさん,Sさんの車に分乗して戸塚駅へ。

      新宿にて,最後の買い付けを済ませて見送りに来てくださった
      Wさんと共に我々の体内に御神酒を供えに行く。

当時は荷物を列車の待ち合わせ場所の行列に置いた後
夜行列車の集合時間あるいは出発時間まで
西口の「ゴキブリ横丁」で呑むのが恒例でした。

20:00       ホームにてWさんと別れる。
23:00       松本止まりの列車に変更し新宿発。

この時は列車は大混雑ではなかったが,何しろ荷物が大きく
席と荷棚と通路をしっかり確保しないと 荷物の置き場が無くなるので
人数分以上の席取りとスパース確保が重要だった。


◆ 二日目

今日は 松本から上高地へ車で入り
上高地から横尾まで 歩きます。

歩くのは地図の赤線ルートです。




4月29日
4:15   松本着。 明けきらぬ空に星が輝く。
4:30   マイクロにて出発。 残雪の山が美しい。
      Ikさんの努力により女性2名同乗,その為かIkさん女性の隣に座る。

早朝の松本からは,信州名鉄のタクシーかマイクロバスを予約して
上高地に入るのがパターンでした。 人数集まればバスより安いので。
今回は7人なのでマイクロの定員を埋めるため,割安料金で客引きをします。


何年経っても いつ見ても 素晴らしい
河童橋付近から梓川,岳沢,つり尾根,奥穂高岳


7:00   河童橋着, Osさんの作ってくれた朝食を食べる。 うまい!
8:00   河童橋発, 重いキスリングが肩に食い込む,歩き始めは特にキツイ
      荷は全員40kg前後,最大はStさんの40数kg

重い荷物を背負っているので工程は 
30分歩き,5分休憩 の繰り返しでした。
歩き始め10分は休んだ後遺症で調子を取り戻すのに辛かった。
次の10分は,快調に歩ける場合が多かった。
最後の10分は,肩にキスリングが食い込み腕がしびれて来て辛かった。

8:45   明神着, 明神池を見学。

初めての人がいるときは明神池を見学に行きます。
みんな陽に焼けえる前なのできれいな顔をしています。


9:40   明神発, 穂高と梓川がきれいだ。 
      しかし諸先輩は涸沢はもっと素晴らしいと云う。
      期待と不安が入り混じりながら再び歩く。
10:40   徳沢着, 広い芝生にカラフルなテントが数張り, 
       行動食を食べながら大休止。
11:30   徳沢発, 梓川に沿った樹林帯の中を声を掛け合いながら歩く。


今は,立派なつり橋がかかる横尾だが,当時はこんな貧弱な橋だった。


横尾の橋の上から明神岳,上高地方面を望む

13:00   横尾着, 一服した後幕営にかかる。 
      会社にて練習のおかげか,大テントも数分で幕営完了。
      しばらくすると小雪がちらつき始める。 お茶と酒で雑談




















この大テントが我々のテント 公称10人用 といっているが何人寝れるかな?
中に入って腕を上に伸ばしても天井は触れないくらい高い。
重量は本体が18キロ ポールが7キロ それを一人で持つ
標準的な個人装備が15キロ なのでテントを担ぐ人は min.40キロ



雪解け水は手の間隔が無くなるほど冷たい

夕食支度の開始です。 
テントの中は黄色いテント生地を透しての光なので変な色になります。


17:30    山での最初の食事はすき焼き, Smさん,Oyさんが腕を振るう。
21:00  就寝  第一日目を終わる。

明日は いよいよ待ちに待った涸沢入りの予定です。

つづく

2018/04/27

鉄の原点 ダイヤグラフの作成2

学生卒業,就職,社会人となり自遊時間は益々喪失気味の日々
と共に自作手書きダイヤの作成は中断
1975年のことでした。

でもダイヤへの思い入れが無くなった訳ではなく,こんなことから復活します。
こんな事とは パソコンの普及,さらに自分専用機の購入です。

パソコンの購入動機はゲームでもネットでもなく
写真のデジタル化 でした。
パソコンと同時にフィルムスキャナーも購入
2000年の春でした。 18年前ですね。
そして始まったのがフィルムのデジタル化ですが,
ふと,Excelでダイヤが作れないか? の考えが浮かびました。

時刻表のように列車時刻をExcelに入力し
グラフ作成機能を使ってダイヤを作る ってことです。
グラフは単純な「折れ線グラフ」
横軸に 時計時間
縦軸に 走行時間
Excel表では「駅」なのですが
グラフ上では駅ではなくて走行時間で作成すところがミソですね。

それが これ
2001年10月の東海道新幹線 東京-新大阪 ですね。

まず 列車時刻を入力します。
























表の左から3列目 「グラフキロ」がグラフ縦軸になります。
グラフキロは,東京を「0」新大阪を「100」として
駅間実走行時間を割り振った 縦軸の数値です。

列車は ひかり こだま のぞみ別 上下も別のシートで作成してますね。
よく覚えていなのですが別シートにしたのは
グラフを作成するときに,1シートからのデータ量に制限があった 
のではなかったかなと  すでにうろ覚えですので正解は???です。

そしてグラフ機能を使って作成した ダイヤグラフ ですね。



機械で書くと線がきれいですね

一部を拡大してみます。
駅のキロ表示は営業キロではなくて 実距離です。


いやぁ よく出来ていますね。 と自分で感心してしまいます。
実際に出張で新大阪まで乗車した時に
すれ違い列車がこのグラフのようにやって来るか確認したところ
このグラフの通りすれ違いました。 
中々うれしいもんですよ,  そういうのって(o^―^o)ニコ。

しかし 残念というか明報というか Excelダイヤは長続きしません。

なぜならば もっとリアルで便利な ”ダイヤ作成ソフト” を発見したから。
パソコンのリストを見てみると 
2003年10月からWindia で 
2016年3月からはOuDia で作成していますね。

これらについては 以前ご紹介しましたので今回はちょっとパス
よろしければこちらをご覧ください。
https://tsc151.blogspot.jp/search?q=%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A4

OuDiaで作成したダイヤグラフが これ
2018/3/17 中央東線 東京-松本 







ダイヤグラフ作成熱は,自遊人になって益々加熱
今回の時刻改正は3月17日行われましたが すでに下記の線区を作成いたしました。
もしよろしければ ご利用ください というかご一報ください。

これが 私の鉄の原点,そして今も継続中の「時刻表」です。

作成済み ダイヤグラフ 2018/3/17改正
(但し,時刻表(旅客・貨物)だけ からの入力ですので,正面衝突,追突あり)



2018/04/26

鉄の原点 ダイヤグラフの作成

時刻表を眺めることから始まった鉄人への道

次に興味がわいたのがダイヤグラフ
当たり前のことですけれど
列車は下り方向と上り方向の双方向から走ってくる。
時刻表にはそれらが,下り列車と上り列車で別々の表にして記載しているので
線路際に立って時刻表を見ながら列車を見ていると
下りと上りの両方のページを行ったり来たりしながら見なければならず
これは面倒なことだったのですね。

ダイヤグラフならそれらが一挙に解決,
さらに急行が普通をどこで追い越すかもわかるし
さらにさらに列車に乗っていると,どこでどの列車とすれ違うのかも容易にわかる
鉄人には超便利グッズなのです。

当時,中学生だった自分にはダイヤグラフを手に入れる手段はなかった。
だったらどうするか?
じぶんでつくればいい ってことで
ダイヤグラフの作成が始まった。

初期の頃の作成は手書きだった。
最初に作成したものはすでに手元にはなく
今あるのは,かなり後期に作成したこれ一枚だけ
昭和48年(1973)10月2日 中央線 新宿-松本間 です。

広げると
 小っちゃくて 良く見えないよね

拡大すると







拡大してもよくわからないから
中央線で一番大事な 1M あずさ1号 の新宿発を拡大

用紙はグラフ用紙
横方向は1mmのメモリが2分 ですから一応二分目ダイヤ
縦方向は距離なので一駅ごとの横線を書いてます。

今見てみると自分で言うのもなんですが 
駅の横線が太さに乱れが無く,ムラもなくきれいですね。
なんと几帳面な 餓鬼 だったのでしょうね (^_-)-☆
それに斜めの列車を現す線を,時刻表の到着時刻,出発時刻から記入していくのです。
楽しい作業ですよ。

時刻表からの読み取りでの記入ですから
時刻表には乗っていない列車
例えば貨物列車,回送列車などは残念ながら記入されていません。
運転停車も?でしたら 
正面衝突とか 追突とかもアリの超危険なダイヤでした。
それども結構便利に使えました。

この手書きのダイヤグラフの作成は,学校卒業と共に終わってしまいました。
まあ 仕事しながらだとやはり時間がないですよね。
新人だし仕事中に作るわけにはいかないし・・・

つづく