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2024/09/12

昔むかし 尾小屋鉄道 2

 昔むかし 尾小屋鉄道


尾小屋駅の構内に留置されている車両を眺めて
小松への戻りは  尾小屋8:17→新小松9:05 だったと思われます。


1803表記の キハ3
Wikipedia尾小屋鉄道 では 
1964年遠州鉄道奥山線廃止後譲り受け
切り抜き文字の車番の上3桁「180」の部分を塗りつぶし
すぐ上に「キハ」の文字を書き込んだ  と記載されています。

この当時/1974年 塗りつぶされたはずの 180 が復活されてますね

子供たちがホームで列車を待っています
遠足かなぁ

この子は 4歳か5歳くらいかな
考えて見ると 自分も この子と同じことをしているのですね
60年以上の長い時間 ずぅ~っと ずっと


午前早い時間で予定の行動は終了  ノンビリと東京へ帰りましょう。

ただ ノンビリし過ぎたからでしょうか
どのようにして移動したのか まったく覚えていないのです。
撮った写真から 乗った列車,時刻など推定してみましょう。

ここ以下の文章は 多分そうだたのでしょうか であります。

金沢駅 3006M 特急「白山2号」クハ485 貫通タイプ 
後 EF8112

”ココはどこだろう”
クハ76,サロ改造車  
モハ70027
新潟色
クハ68050

”ココはどこだろう” の駅を出発しました

二本木駅でしょうか
そして この窓の形は 165系の貫通ドアではないかと
山は 妙高山ですね

ここまでの写真から ”ココはどこだろう” の駅は直江津のようです

午後の早い時間の 489系白山 隣にキハ17系が停車していますから
こちらの駅は長野駅 14:36 3005M 白山2号 ですね

これらの写真から 小松から上野までの行程を推定してみました

小松937_321M→金沢956/1010_3006M白山2号→直江津1224
直江津1250_とがくし1号→長野1424
長野1510_310M信州4号→上野1912 

直江津までは列車が無いので特急を利用
直江津からは周遊券で乗れる急行を乗り継いで上野にたどり着く
だったのでしょう

今回の乗車券類です



347Mのグリーン券と 金沢-直江津間の白山特急券は
どこへ行ったのか 見つかりませんでした。

2023/03/28

50年前は・・・下河原線 3


50年前は・・・下河原線 続きです

1973/03/22 

 北府中-東京競馬場前  DD13 83

南武線との交差部分です
11-33  国分寺行 101系中央線色 23編成 
当日は 1973/3/22 木曜日
休日ではないので 競馬場の開催はたぶん無しだとおもいますが
日中から101系が入線していました
東京競馬場前行

1973/03/30

廃止一日前の下河原線です

DD13+FC
クモハ40074
14-29


DD13 83
この日も DD13 83  クモハ40074 でした

廃止の前日だというのに 出会った方は一人だけ
静かな時代の

廃止直前の下河原線 3日間でした。 

2023/03/25

50年前は・・・東京競馬場前駅


50年前は・・・下河原線 続きです

1973/03/20

下河原線 東京競馬場前駅 クモハ40074
数日後に廃止された 東京競馬場前駅 です



武蔵野線開業に伴う 乗車券・定期券の取り扱いに関するお知らせ
であって
下河原線・東京競馬場前駅廃止の予定 と記載はされていますが
廃止のお知らせではありません。

なんだか ”東京競馬場駅の廃止”を 告知したくない文章”
みたいな感じがします

東京競馬所前駅 構内 

南武線/ED16+石灰石列車
東京競馬場駅は 南武線に直角にぶち当たる形に位置していた
北府中-東京競馬場間は 下河原線跡道 として残っているようです。


2023/03/24

50年前は・・・下河原線


50年前は・・・下河原線

下河原線は 1973/3/31に廃止された/武蔵野線に組み込まれた
国分寺-北府中-東京競馬場前を結ぶ5.6kmの単線電化路線で

日中は クモハ40形が一両で ほぼ30分間隔で運転
朝夕の通勤通学時間帯や東京競馬場開催日などには
101系7両が入線していた 路線でした。
  
1973/03/20
廃止/武蔵野線組込 数日前の姿です。

下川原線 北府中-東京競馬場前 クモハ40074
鉄道博物館に保存されている 有名な車両 ですが
当時は 4位側ドアガラスが灰色Hゴムが目立っていたのでイマイチでした

半流形両運転台クモハ40は 大好き車両でした

前位はパンタ・ジャンパー線も付いて いいですねぇ

後位はペンキ表示・銘板べたべたで 後ろ感丸出しなので イマイチ
と 好き嫌いが多い 人間でした

DD13 83
こんな短区間のローカル線でも貨物列車が走っていたのが不思議です
八王子機関区配属で中央沿線構内入替作業に使われてました

クモハ40074
クモハ40074 武蔵小金井電車区配属で
071も配置されていました 出てきませんね

ちなみに私のハンドルネーム Mc40073 は
クモハ40073 からの命名ですが 青梅電車区→豊田電車区所属で
青梅線を本拠地にしていた車両でした。

2022/10/26

鉄道100年の頃 青梅線

 

前回のブログでは 立川の線路際を思い越してみたので
今回は 立川から青梅線で奥多摩へ行ってみました。

1972/02/09

青梅駅 2番線に停車している列車は クモハ40072
数年前までは 青梅駅の北側に青梅電車区がありましたが
豊田電車区へ統合されて 西オメ は廃止されてしまいました
クモハ40の右には 留置線と検収庫は残されています

川井駅 立川→奥多摩 73系4連 立川側<McTcTMc>奥多摩側  

1972/3/31現在の豊田電車区に青梅線用として配置されている車両は
クモハ73 36両
モハ72  14両
クハ79  22両
サハ78  14両
クモハ40  8両
クハ55   2両
と 数年前まで走っていたクハ16やクモハ11は徐々に引退して行き
1971/3/31現在で配置されていた17m車クハ16 11両もすべて廃車されて
この1971年一年で 青梅線からの17m車は すべて引退した後でした。

御岳-川井間 奥多摩→立川 73系4連 立川<McTcTMc
現在このカーブでの列車見物は
樹木の成長 敷地内への立ち入り禁止厳格化などから 無理なようです。
立川側クモハ73は モハ72からの改造車,車体近代化(奇数)500番台
奥多摩側は 同様のモハ72から改造のみ(偶数)600番台 と思われます。
当時在籍した500番台は 503 505 515 519
600番台(偶数)は 600 608   でした 
引用:国鉄車両配置表 1971年版 1972年版 発行:鉄道図書刊行会 

編成中間のTcTは 以前のMcTcMcTc 4両編成の名残りでしょうか

以前の青梅線の編成は McTc2両編成が基本で McTc+McTc の4両での運転が主
朝の多客時間は立川側にMc/クモハ40が増結され
青梅ー奥多摩間は 立川からMcTc+McTc で運転され
青梅でMcTc2両を切り離して 2両で奥多摩に向かう列車もありました。

73系4連/立川<McTMTc

御嶽駅 奥多摩行進入


宮ノ平駅 立川行 出発
推測ではありますが この車両
当時豊田に2両だけ在籍していた クハ55005 か 006 ではないでしょうかね

青梅-宮ノ平間 上りセメント貨物 ED16+セキ+ホキ2500+ヨ   

青梅線 青梅-宮ノ平間 奥多摩→立川 73系4両/立川<McTMTc

この踏切も回収されⅢ種踏切 車両も通行できるように改良されています が
見通しも悪くなっています。

青梅駅 留置線 クモハ40072

青梅駅 立川→青梅 73系

立川駅 2番線 立川→奥多摩
当時の職員のレベルを表す 車体へのアジビラを貼り付けた車です。

当時の立川駅 1,2番線は 行きどまり両側ホームで
朝は上り乗り換えがスムーズなように 1番線乗車2番線下車
昼間・夜間は下り客乗り換え重視で 1番線下車・2番線乗車 でした。

現在 立川駅に 当時の青梅線の面影は 残念ながらまったくありません。
そればかりでなく
青梅線への短路線以外 駅のどこを見ても昔の面影は見当たらないようです。

つづく