この時期になると思い出すのが 春の涸沢
今登る山は 大磯高麗山 そんな軟弱な私も
昔は北アルプスにに南アルプスにも,テントと食料を担いで登っていたのです。
そんな中でも一番の思い出は
5月の連休に、何度か通い続けた春の涸沢 です。
初めての涸沢登山は,1977年4月29日から5月5日
すでに 41年前 なんですねぇ~
その時の記録が掲載された「年報」があります。
手書きのガリ版印刷と 今では全くお目にかからない冊子です。 年報に記載された当時の記録を振り返ってみます。
(赤色文字が年俸からの転載、当時の文章のまんま、です)
◆ 一日目
春山合宿 記録
北アルプス涸沢 昭和52年4月28日~5月5日
参加者 CL:Stさん SL:Oyさん
Ikさん Ksさん Smさん Skさん Nkさん
4月28日
17:30 1週間前からの装備点検,パック等にて準備は前日までにすべて完了。
Oさん,Aさん,Sさんの車に分乗して戸塚駅へ。
新宿にて,最後の買い付けを済ませて見送りに来てくださった
Wさんと共に我々の体内に御神酒を供えに行く。
夜行列車の集合時間あるいは出発時間まで
西口の「ゴキブリ横丁」で呑むのが恒例でした。
20:00 ホームにてWさんと別れる。
23:00 松本止まりの列車に変更し新宿発。
この時は列車は大混雑ではなかったが,何しろ荷物が大きく
席と荷棚と通路をしっかり確保しないと 荷物の置き場が無くなるので
人数分以上の席取りとスパース確保が重要だった。
◆ 二日目
今日は 松本から上高地へ車で入り
上高地から横尾まで 歩きます。
歩くのは地図の赤線ルートです。
4月29日
4:15 松本着。 明けきらぬ空に星が輝く。
4:30 マイクロにて出発。 残雪の山が美しい。
Ikさんの努力により女性2名同乗,その為かIkさん女性の隣に座る。
早朝の松本からは,信州名鉄のタクシーかマイクロバスを予約して
上高地に入るのがパターンでした。 人数集まればバスより安いので。
今回は7人なのでマイクロの定員を埋めるため,割安料金で客引きをします。
何年経っても いつ見ても 素晴らしい
河童橋付近から梓川,岳沢,つり尾根,奥穂高岳
7:00 河童橋着, Osさんの作ってくれた朝食を食べる。 うまい!
8:00 河童橋発, 重いキスリングが肩に食い込む,歩き始めは特にキツイ
荷は全員40kg前後,最大はStさんの40数kg
重い荷物を背負っているので工程は
30分歩き,5分休憩 の繰り返しでした。
歩き始め10分は休んだ後遺症で調子を取り戻すのに辛かった。
次の10分は,快調に歩ける場合が多かった。
最後の10分は,肩にキスリングが食い込み腕がしびれて来て辛かった。
8:45 明神着, 明神池を見学。
みんな陽に焼けえる前なのできれいな顔をしています。
9:40 明神発, 穂高と梓川がきれいだ。
しかし諸先輩は涸沢はもっと素晴らしいと云う。
期待と不安が入り混じりながら再び歩く。
10:40 徳沢着, 広い芝生にカラフルなテントが数張り,
行動食を食べながら大休止。
11:30 徳沢発, 梓川に沿った樹林帯の中を声を掛け合いながら歩く。
今は,立派なつり橋がかかる横尾だが,当時はこんな貧弱な橋だった。
横尾の橋の上から明神岳,上高地方面を望む
13:00 横尾着, 一服した後幕営にかかる。
会社にて練習のおかげか,大テントも数分で幕営完了。
しばらくすると小雪がちらつき始める。 お茶と酒で雑談
この大テントが我々のテント 公称10人用 といっているが何人寝れるかな?
中に入って腕を上に伸ばしても天井は触れないくらい高い。
重量は本体が18キロ ポールが7キロ それを一人で持つ
標準的な個人装備が15キロ なのでテントを担ぐ人は min.40キロ
雪解け水は手の間隔が無くなるほど冷たい
夕食支度の開始です。
テントの中は黄色いテント生地を透しての光なので変な色になります。
17:30 山での最初の食事はすき焼き, Smさん,Oyさんが腕を振るう。
21:00 就寝 第一日目を終わる。
明日は いよいよ待ちに待った涸沢入りの予定です。
つづく
つづく
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