2019/12/06

線路際へふたたび 久しぶりの鉄

子供のころ
鉄道好き とはいっても 線路脇で列車を眺めていたり
雑誌を眺めているだけの ボンヤリとした鉄道好きでした。

それが大学のサークルに入って
多くの鉄道好きな方々と接して驚いたのは
サークルの方々の知識と興味の範囲は
本を丸暗記しているような方々ばかりだったのです。

そんな方々に刺激されて バイトで買ったカメラを持って
南から北まで全国の鉄道を乗り回した日々を過ごした4年間でした。
知識はちょっと置いといて,行動だけは真似してみました。

就職しても最初の数年はまだ鉄遊びに出かける余裕があったのですが
3年4年と経つと 仕事は面白くなるは,プライベートも忙しくなるし で
鉄遊びは 雑誌の購入 が主となり
線路際からは遠ざかるばかりの年月を過ごしていましたね。

2002年夏
一大転機がやって来たのです。

その年の7月
世間ではサッカーワールドカップで盛り上げっている最中に
3週間の入院というアクシデントに襲われたのです。
入院とは云っても
消化器系に潰瘍が出来てやや多めの出血があっただけ
つまりストレスからの潰瘍なので そんなに重病ではないのです。
と 思う
 

入院はカメラを オェッオェ! としながら飲まされた で始まり
最初の一週間は点滴の針に繋がれて絶食,薬の服用だけ
痛みもだるさも不快感もなんもなく
絶食でも どういう訳か おなかも空かない
 
腕を点滴の針で繋がれている以外は元気そのもの
家から鉄本を持ってきてもらい 一日中鉄本を読んでいた毎日だったのです。

次の週からは 重湯からおかゆへと,そのうち点滴も外れて
時々散歩に出かけるような勝手なことをしていましたね。

この3週間ののんびりとした時間が 自分の意識を変えたらしい。

仕事に復帰後も仕事の量は変わらず,忙しい毎日を過ごしていたのですが
心に余裕が生まれたらしい
早朝,久し振りにカメラを持って馬入川橋梁まで撮影に出かけたのです。
カメラを持って線路際に立つのは何年ぶりでしょうか?
残念なのは 時はすでにブルートレイン最盛期を過ぎ
華やかさはイマイチの時代に入っていたのです。。。

貨物列車はコンテナ列車がほとんどの時代になっていました
 主役はEF65からEF210へ

ブルトレもEF651000がけん引するのは 出雲などわずか数本
 185系は緑のストライブからブロックの更新色へ
 新鮮なのは 個室を主にした寝台電車が走り始めていたことでしょうか
 ブルトレのけん引も EF66がメインです
そして  113系が健在の頃です


山列車E351系が おはよう新宿ライナー で東海道までやって来ていました


当時 仕事ではデジカメを使っていたのですが
プライベートではまだフィルムカメラ
その日持ち歩いたコンパクトなカメラは
以前 「Filmカメラの終焉」で
と云ってしまったカメラです。

時は 50歳台に突入したばかり
30代40代を 鉄に関してはムダに過ごしてしまいましたが
まだ気分は若者 少し取り返さなければいけません

入院がきっかけの 鉄 復活の年 でした。
そんな2002年を振り返ってみましょう
つづく

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