中央線と云えば 101系 オレンジバーミリオン色
国鉄の最初の新性能電車である101系が
最初に運用されたのが 中央線 東京-高尾間
当時の ぶどう色ばかりの国電の色彩を
オレンジバーミリオン色という
今までの車両からは想像が出来ない派手な色で出場させた
島秀夫技師長の奥様のセーターの色 などと云う
よくわからない理屈で決まったとかの話もあるけれど 真偽のほどは不明です。
当時 国電はブドウ色 列車区間を走る電車列車は
オレンジと緑の 湘南色
青とクリームの スカ色
ぐらいでしたからね
当時の幼稚な組合員が 車体の側面で 下手な文字書きの練習が 流行でした。
若い時分には 自分たちの職場の大切な機器に 汚い文字で汚す輩が 許せなかった。
年とった今も そうですが
その組合行動が 自分たちの会社を潰す 原因のひとつになったのは
当然の結果 ですね。
当時の101系の編成は
高尾<基本7両+付属3両>東京 で編成されていて
登場当時,101系は全電動車で計画・製作されていましたが
諸般の事情から T車が製作・挿入されました。
基本編成は 中間にT車3両を挿入した
高尾<McM'TTTMM'c 7両編成
付属編成は Tc が挿入された
高尾<TcMM’c 又は McM'Tc 2種類の3両編成
正確には TcもTも 電動車化準備工事が行われていて
Tc T'cTT’ の4車種がありました。
1972/05/03
奥多摩の山々と大岳山のシルエットがお気に入りでした
これからも 大岳山のシルエットは たくさん出てきます
1972/05/28
暖かい日の多摩川は 水遊び場でした
1972/05/28
夕方の逆光写真もお気に入りでした
立川で東京寄りの付属3両編成の 解放・連結が行われて列車もあったので
立川以西は 7両基本編成だけでの運転も見受けられました。
1972/06月
ちょっと番外の場所ですが 東小金井駅 夜間列車待ち乗客
下り武蔵小金井止りの列車は 2番線/上りホームに到着する関係から
以遠への乗り換えは
階段を使用する武蔵小金井より 同じホームで乗り換えができる東小金井が便利でした。
1972/07/08
左/高尾方 が基本7両編成 右/東京方 が付属3両編成です
付属編成はパンタグラフの位置から Mc’MTc であることが分かります
ちなみに101系は M’車/偶数形式車 にパンタグラフが搭載されています。
1972/07/24
増水した河川
Mc’MTc の付属編成
101系冷房改造車 特快
台風で増水して河川敷まで水浸しになった翌日
水浸しになった河原は ススキのきれいな河原でしたが ススキ全滅です
現在はグラウンドに整地され 橋梁近くは林となってしまってます
1972/09/23
冷房車
1972/11/11
富士山 と 特快
下流側河原敷
ユリカモメ と 大岳山
20系/151系 更に新幹線0系へと発展した国鉄の新性能電車
その はじまり となった 101系オレンジバーミリオン色が
多摩川橋梁を渡るいろいろな姿でした。
つづく
0 件のコメント:
コメントを投稿