2022/11/10

鉄道100年の頃 中央線3 101系


中央線と云えば 101系 オレンジバーミリオン色

国鉄の最初の新性能電車である101系が
最初に運用されたのが 中央線 東京-高尾間

当時の ぶどう色ばかりの国電の色彩を
オレンジバーミリオン色という
今までの車両からは想像が出来ない派手な色で出場させた
島秀夫技師長の奥様のセーターの色 などと云う
よくわからない理屈で決まったとかの話もあるけれど 真偽のほどは不明です。

当時 国電はブドウ色 列車区間を走る電車列車は
オレンジと緑の 湘南色
青とクリームの スカ色
ぐらいでしたからね 


中央線 立川-日野間 多摩川鉄橋

1972/4/1 高尾<M'cMTTTM'Mc+***

1972/04/28 

***TTMM'c>東京  基本7両編成
当時の幼稚な組合員が 車体の側面で 下手な文字書きの練習が 流行でした。
若い時分には 自分たちの職場の大切な機器に 汚い文字で汚す輩が 許せなかった。
年とった今も そうですが
その組合行動が 自分たちの会社を潰す 原因のひとつになったのは
当然の結果 ですね。

1972/05/03

101系 特別快速
 

当時の101系の編成は
高尾<基本7両+付属3両>東京 で編成されていて

登場当時,101系は全電動車で計画・製作されていましたが
諸般の事情から T車が製作・挿入されました。

基本編成は 中間にT車3両を挿入した
高尾<McM'TTTMM'c 7両編成
付属編成は Tc が挿入された
高尾<TcMM’c 又は McM'Tc 2種類の3両編成

正確には TcもTも 電動車化準備工事が行われていて
Tc T'cTT’ の4車種がありました。

1972/05/03

 奥多摩の山々と大岳山のシルエットがお気に入りでした
これからも 大岳山のシルエットは たくさん出てきます

1972/05/28

暖かい日の多摩川は 水遊び場でした

1972/05/28

 夕方の逆光写真もお気に入りでした

1972/05/28 

横から見た編成写真もお気に入りでした
立川で東京寄りの付属3両編成の 解放・連結が行われて列車もあったので
立川以西は 7両基本編成だけでの運転も見受けられました。


1972/06月

ちょっと番外の場所ですが 東小金井駅 夜間列車待ち乗客
下り武蔵小金井止りの列車は 2番線/上りホームに到着する関係から
以遠への乗り換えは
階段を使用する武蔵小金井より 同じホームで乗り換えができる東小金井が便利でした。

1972/07/08

左/高尾方 が基本7両編成  右/東京方 が付属3両編成です
付属編成はパンタグラフの位置から Mc’MTc であることが分かります

ちなみに101系は M’車/偶数形式車 にパンタグラフが搭載されています。

1972/07/24

増水した河川
Mc’MTc の付属編成

1972/09/17

大岳山のシルエット/左を向いた像の頭から背中の形状 と教えられました 
Mc'MTc>東京

堤防上を散歩する女の子を写したのではなくて ピントは101系です

101系冷房改造車 特快
台風で増水して河川敷まで水浸しになった翌日
水浸しになった河原は ススキのきれいな河原でしたが ススキ全滅です
現在はグラウンドに整地され 橋梁近くは林となってしまってます

左岸堤防下流側からみた日の入り

1972/09/23

冷房車


1972/11/11

富士山 と 特快

下流側河原敷
この頃 多摩川の河原で 横からの編成写真に凝ってましたね

奥多摩の主 大岳山


ユリカモメ と 大岳山

20系/151系 更に新幹線0系へと発展した国鉄の新性能電車
その はじまり となった   101系オレンジバーミリオン色が
 多摩川橋梁を渡るいろいろな姿でした。
つづく

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