伯備線沿線に散らばって,研究班ごとに調査活動を行っていたメンバーが
15日夜に東京を出発してから4日目,
その日の夜は松江に全員集合ではなかったかなと記憶しています。
松江温泉だったとは覚えていますが,そこのどこだったのかは?????
と五つぐらいついてしまいますねぇ
さらに当日夜は何があったのかも???
翌日,五日目は終日自由行動
各自思い思いに松江近所をブラブラのはずです。
小泉八雲旧宅とか 松江城にはいきましたがその他の記憶はあいまい
そしてその夜は 合宿打ち上げの宴会
大学生 現役合格年1年生は18歳ですが
当時は高校失業すればアルコールもたばこもOK
酒は練習中ですから、酔いつぶれれば仲間が面倒見るのが当たり前
そんな時代でした。
まあ 高校時代から”練習”はしていましたけれどもね !(^^)!
しっかり飲んで、食べて、歌って さあ締めの時間です。
うちの学校の締めは これ って決まっていました。
惜別の歌 作詞 島崎藤村 作曲 藤江英輔
遠き別れに 耐えかねて
この高楼に のぼるかな
悲しむなかれ わが友よ
旅の衣を 整えよ
別れといえば 昔より
この人の世の 常なるを
流るる水を 眺むれば
夢はずかしき 涙かな
君がさやけき 目の色も
君くれないの 唇も
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ
この歌はうちの学校の 蛍の光 です。学校の卒業式で歌われるのはもちろん
合宿の締めとか サークルの追い出し旅行(卒業旅行)でも歌われます。
惜別の歌は わが校の歌であって
決して 小林旭の歌 ではない のですねぇ
ちなみに 私は三番が好きですね
どこが? でなくて すべて良いでしょ
さやけき目の色,くれないの唇,みどりの黒髪,またいつか見ん・・・
惜別の歌 で合宿は終了です。
明日の朝からは,各自が好きな行動を取ります。
私は 急行さんぺ2号 で山陰本線,鹿児島本線で 熊本まで行き
母方祖母の鬼塚家を訪問し,親戚と・墓参り
その後鹿児島へ移動して 今度は
母方祖父の有村家を訪問し,熊本と同じく親戚と・墓参り
と母方のルーツ巡りというか,一応我が家からの依頼事項を処理して
日豊線経由で帰京の予定です。
そのあたりはいつか書くかも ですかね。
さて 伯備線 ですが 夏休み明けから,研究の仕上げ作業を行い
翌年の春 機関誌「どんこう」No.21号 特集:伯備線 で発表されました。
B5判 108ページ 手書きガリ版印刷 なる豪華本(^_-)-☆ です。
でもこんな中身なんで 読むにはちょっと勇気がいる本ではあります。
でも 安心してください。
読む勇気が湧いてくる ダイジェスト版もあります。
鉄道趣味誌の大御所 「鉄道ピクトリアル」 1972年6月号 に
掲載されているのです。
こちらは 本文5ページ 写真2ページと とってもコンパクトなんで
勇気を出さなくても,時間が無くても 読めますから。
この本は発行から47年も経つので 当然店頭には並んでいませんが
なんと 国立国会図書館には保管されていますので 読めます。
まあ 国内で発行された図書は当然なんですけれどもね。
各都道府県の代表的な図書館にもあるとおもいます。
ちなみに 平塚市立図書館 にはありません。
所有したい ってことになると 古本屋を探すことになりますが
結構出回っていますのでそんなに困難な作業ではないと思いますよ。
1,000円~2,000円ぐらいではないでしょうか たぶん
読みたい! ご希望があれば
お答えできると思いますのでご連絡ください。
とはいいつつ 全文公開しちゃってますけれども・・・
一年の夏 鉄道についてまだ何も知らない自分が 先輩について行っただけの
伯備線での一週間 でした。
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