何とかセンターとかいうお役所みたいな だった広い障害物を
大きく迂回して やっと多摩川へやって来ました。
ここは 多摩川右岸 八高線多摩川橋梁 上流側
12:54 1271E 八王子→川越
13:03 1266E 川越→八王子
右岸堤防から拝島方面を見る景色は 昔と同じ
振り返ると 築堤だけは昔通りですが
築堤の周囲は新世界
12時半前後は
八高線の上の道路から
今いる所に向いて撮っていました。
八高線の上の道路から
今いる所に向いて撮っていました。
奥多摩方面を見ると 左端のピークが「大岳山1266m」
多摩地方から見えるシンボル的な山です。
堤防の草地の腰を下ろしてコンビニで調達したパンでは昼食です
飲み物は ”麦とホップ本熟” だそうです。
飲酒撮影 ってやつです。
多くの人は お寿司食べながら飲みます。
だから 私はおにぎりでも飲めます。
同じコメだし
パンだって食事ってことでは似てますから
やはり飲めます。
ちなみに 羊羹でもチョコでも饅頭でも大丈夫です。
以前それをやって 山道を歩いていたら
ツタに足を取られ 転んで
さらに 胸に抱えていたカメラが肋骨をバキッ!と
しばらく呼吸ができないくらいの衝撃と痛さ
全治一か月 でした。
今日は山道ではなくて 堤防道 なので大丈夫かな と
多分ですけれども
なので
飲んだら歩くな,歩くなら飲むな!
気を付けましょう
飲酒撮影 ってやつです。
多くの人は お寿司食べながら飲みます。
だから 私はおにぎりでも飲めます。
同じコメだし
パンだって食事ってことでは似てますから
やはり飲めます。
ちなみに 羊羹でもチョコでも饅頭でも大丈夫です。
以前それをやって 山道を歩いていたら
ツタに足を取られ 転んで
さらに 胸に抱えていたカメラが肋骨をバキッ!と
しばらく呼吸ができないくらいの衝撃と痛さ
全治一か月 でした。
今日は山道ではなくて 堤防道 なので大丈夫かな と
多分ですけれども
なので
飲んだら歩くな,歩くなら飲むな!
気を付けましょう
13:24 1275E 八王子→川越
橋梁の下流側へ来ました。
13:32 1264E 川越→八王子
長居いしても同じ電車しか来ませんから移動します。
下流方向に歩いて”多摩大橋”で左岸に渡ります。
多摩大橋 八王子側からの上流方向の眺め
13:54 1365E 八王子→川越
ここに来るといつも大岳山を入れて撮りたいのです。
中央,ちょっと右のピークが大岳山です。
左を向いた像を横から見た姿
ピークが「像の頭」その右の一段低くなったところが「背中」と
日の出村(当時)の友人に教えられました。
左を向いた像を横から見た姿
ピークが「像の頭」その右の一段低くなったところが「背中」と
日の出村(当時)の友人に教えられました。
すこし昭島側に移動すると
橋梁から大岳山が離れてフレームに入らなくなります。
橋梁から大岳山が離れてフレームに入らなくなります。
そして煙突が目立ってくるので,いつもは八王子側でしか撮らないのです。
昭島側からの眺め
これはスマホで撮影
こちらはOlympusコンデジでの撮影
パット見はスマホのほうがきれいに見えます。
細かく見ると
コンデジは左手前の草が繊細ではありませんが
真ん中河原は周囲に比べれば細かく映っています。
スマホの方が青がきれいで,彩度も高いのできれいに見えます。
日本人は,真っ白よりやや青味がかった白が好き と言われていますので
そういった調整がされているのでしょうね。
細かく見ると
コンデジは左手前の草が繊細ではありませんが
真ん中河原は周囲に比べれば細かく映っています。
スマホはどこが良いという特定個所はなにのですが
全体的に繊細に見えます。
スマホの画像処理技術に軍配! かな
全体的に繊細に見えます。
スマホの画像処理技術に軍配! かな
下の2枚は うん十万円のカメラに十数万円のレンズをつけて撮り
1000円/月払いのソフトで現像・レタッチした写真です。
まあ あまり変わらない といえば変わらない。
遊びは仕事じゃないから コスパとは無縁 だからね。
多摩大橋を渡り切り,上流側の八高線に近づきます。
昭和20年8月に起きた「八高線列車衝突事故」の現場で
事故車両の物と思われる車輪が最近(2001年)発見されたので
それが展示されています。
最近の災害や事故で
「事故を風化させないため」とか「後世に伝えるため」として
モニュメントを残すことが多いのですが
伝えるだけでは意味がなく
事故を起こさないためには とか
災害から被害を最小限にする心得とか
を伝える,記録するのが大切なのでは と思います。
ここでも
「事故を後世に伝えるため」と書かれていますが
「事故を風化させないため」とか「後世に伝えるため」として
モニュメントを残すことが多いのですが
伝えるだけでは意味がなく
事故を起こさないためには とか
災害から被害を最小限にする心得とか
を伝える,記録するのが大切なのでは と思います。
ここでも
「事故を後世に伝えるため」と書かれていますが
これだけの文書で 後世に何を伝えたいのでしょうかね?
ここに書かれている
「地域の人々(今の昭島市民)が救助に協力した」
ってことなのだろうか。。。
14:24 1469E 八王子→川越
多摩川を離れて昭島駅に向かいます。
14:32 1374E 川越→八王子
懐かしい木造の住宅が残っていました。
久しぶりの 八高線と多摩川 でした。
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