2025/01/05

昔むかし 上越線で

 昔むかし

ちょうど50年前の1974年12月28日から13往復の内3往復の
「とき」に投入された 183系1000番台を見に行こう
と云う 話がありました。

その話を切り出したのは DF901さん
博学の鉄道ファンで 分野は選ばっず 鉄道全てが大好き で
明治の機関車から最新の電車まで
日本だけでなく 海外へも目を向け
あれは好きじゃない などとは一度も聞いたことがない彼 でした。

とき = 冬 = 上越 だったら
やっぱり 雪 でしょう

と 今から思うと何とも言えない理由でしたねぇ
年明けに清水トンネルをくぐって新車183系を見に行くなんて

なるべく早い時間に清水トンネルをくぐることにしようと
上野で始発電車に乗るために
前夜は 東北沢のDF901さん宅に泊まって
それでも 小田急始発では上野始発には間に合わないので
渋谷まで夜明け前の街を歩いて 山手線始発に乗ったのです。

1975年1月6日

乗り換え時間で水上駅に発着する列車を眺めていると やって来ました

2002M とき1号 183系1000番台
落成してから1か月以内
営業開始からまだ10日しかたっていない新車ですから ぴかぴかです
上野方表示幕は”とき”ですが
6号車サロ183-1101の側面行き先表示は 上野行特急”そよかぜ”です
2002Mのはずですが回送? でも客室ドアは開けているし デッキには人がいます
なんか 変ですが 2002Mで側面表示のミスでしょう
とりあえず 早速,この日の目的の半分は達成です

水上駅 急行石打スキー 155系
当時 東京付近では 155系を使用した臨時列車の頻度は多かったので
見る機会はかなり高かったけれど
今から考えると貴重な列車です
当時はフィルムも貴重品
貴重な列車なのに写真はこれ一枚
何ということでしょ たった一枚しか撮っていないなんて
今なら10枚,20枚は当たり前なのに。。。

清水トンネルを抜けて いよいよ上越です
土樽駅 左:723M  右:2004M 特急とき2号 181系
まずは駅撮りで 181系とき を捕獲

当時 181系は マスコミに叩けれていました
良く揺れる 故障が多い ボロボロだ 陳腐化している などなど
初期の車両で16年 そんなに古くは無いけれど
当時の国鉄労働組合は「働かないことが労働者の権利」みたいな
集団だったから そちらの影響が大きかったのかな

それとマスコミの妙な正義感と云うか批判だけ体質
深く勉強もしないで 生半可な聞きかじりの知識で記事にしてしまう
今でいえば クレーマ ですよね

と だんだん調子に乗ってしまうので この辺でやめておこう

  
2003M 特急とき3号 183系1000番台
181系が不評だったので この冬から投入された
183系1000番台です
房総特急183系0番台に 耐雪耐寒設備を施し
MG(発電機)などを増設して信頼性向上の改良がされた
と当局がPRした車両です
正確には信頼性を向上させたのではなくて
本当は2台で良いところ3台乗せて 1台壊れてもまだ走れます
つまり冗長性をもたせたのであって 予備品をたくさん実装した車両です 
房総の183系0番台は前面貫通ドア付きで 何となく貧弱だったデザインが
1000番台では貫通ドアがなくなり 愛称表示器も大きくなって
形状はこちらの方が好みだった

3001M 特急はくたか 485系
生まれは 上野発 信越線経由 大阪行き 特急白鳥 で 
直江津で青森発の白鳥と併結して大阪を目指した列車でした
1965年10月 白鳥と分離,区間変更もして
大阪ー青森 列車が   「白鳥」
金沢ー上野 列車が 「はくたか」
となりました。
特急車両のシンボル ボンネット形状 でしたが
1972年に183系0番台の登場,485系200番台の登場で
ボンネット形状の先頭車に陰りが見え始めた頃 でした。 


さあ ここから歩きで 越後中里方面に向かいます
土樽-越後中里間 

2006M 特急とき3号 181系

726M 80系 6両編成
関越自動車道は未開通 なので この風景もまだ健在でした

361M 急行よねやま 165系
2008M 特急とき4号 181系

関越道開通後の現在の撮影地点です
写真引用:GoolgleMap
国道と上越線の間には関越道が横切り
河川敷も樹木が茂り 橋梁の橋脚が樹木で隠されて
無残な光景に変わっています

そんな無残になった風景ですが それを切り取り仕上げた写真があります
2019年10月 JR東日本のカレンダー です

ここまでの軌跡です

雪道を越後湯沢方面に歩いて向かいます


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