2020/08/30

1972年冬 上越・北陸線 


1972年2月25日

長岡の友人宅で一泊した翌日
この時間まで何をしていたのか記憶も記録もありません
長岡駅 441M クハ75017 長岡1518→新潟1648


1644 押切駅
どういう訳か 押切駅で下車です


多分列車の中から 独特の立ち木を見ての下車だと思います


EF16でしょうか


黄緑色の JNRのコンテナですね



17時過ぎ 528レ EF81+PC 新潟発米原行きの普通列車のようです


2011D いなほ キハ81系7両編成


キハ81系の運転は 
はつかり にはじまり つばさ から 今度は いなほ
と東北地方を少しずつ西に移動しています
このあと 更に西まで飛んでいきました


17時過ぎですがまだ2月末
記録では露出1/60f4 なのでかなり暗くなってきました
フィルムは コニパンSSイージーローディング
黒いプラスチックの軸に巻き付けれ 遮光らしき紙で包装されただけ
パトローネには入っていない製品で ヨドバシで100円/本でした
私には Tri-Xは特別なフィルムの時代でした
一か月の奨学金が5000円の時代でしたからね


ピンボケ 手振れと未熟者の作例です



1720頃 705M 佐渡3号 165系


お尻は切れちゃってるし

1730頃 443M 70系


ぶれてるし   情けない写真のオンパレードです


この後 新潟まで行ってから北陸1号で直江津に向かったようですが
新潟で何をしていたのか 新潟→長岡はどの列車に乗車したのか
相変わらず全く記憶がありません


1972年2月25日
夜中の直江津駅に下車です
6601レ 北陸1号 長岡037→直江津157 乗車車両スハ432250


2時台に日本海の上りと下りが停車するのでそれを撮ってみようかな と
真夜中なのにね それも真冬ですよ


2002レ 日本海 直江津203着206発


右は 6601レ 北陸1号は157着224発と30分近い停車時間です
左には EF62重連が停車しています
この列車は信越線上り列車ですがどんな列車なのか不明です


次のコマの写真です
3本右の線路は客車が走って行ったようですが
ズバリの時刻表が手元にないので???です



4001レ 日本海 直江津239着241発  


当時の寝台特急(ブルートレイン)は
東海道線東京口を除いて トレインマークが外された列車が多く
これもその列車でした
正々(?)堂々と「働かない労働者」を演じていた国労・動労の仕業 でしょうね
”日本海”撮影後 駅員さんに”温まって行け”と事務室に呼ばれ
使用後の特急券などを見せていただき 何枚かお土産に手渡されました
と一方ではそんな職員もいらっしゃいました


糸魚川に移動します
603レ 急行越前 直江津300→糸魚川331 乗車車両オハ452033

始発列車まで 糸魚川駅構内に留置されている車両を眺めて
1時間ちょっとの 真冬の夜遊び です



つづく

2020/08/28

1972年冬 信越・飯山・上越線

お盆も過ぎて 酷暑と云われ始めた猛烈な暑さの夏も
先が見えてきたような気がする この頃
気がするだけで 日中朝晩の気温に変化が見えた訳ではない けれどもね

あとたったの3か月で冬がやって来ますから
もうちょっとの辛抱です

それでも待ちきれないので 冬景色を覗いてみました



1972年2月22日

この日は学生時代に所属していたサークル/CRCでは恒例だった
4年生の追い出し旅行で 野沢温泉 へ
追い出し旅行は 当時庶民にはまだ一般的でなかった
特急または急行グリーン車での移動 との習わしがあったので
乗車した列車は 特急あさま 181系8と横軽協調運転前の車両
横川から軽井沢間は
181系は無動力・台車の空気ばねはエアーを抜いた状態で
EF63機関車2両に押し上げてもらう時代でした

上野を8:40 あさま1号で長野11:45着 長野から飯山線で戸狩着でした
乗車した列車などは記録によると

あさま1号 乗車車両モハ181-110 3号車3番A席だったようです

先輩が N旅行五反田支店にお勤めだったので
指定券・特に取得の難しい列車などの無理なお願いしてました
今では貴重品 硬券の特急券です

折角の181系乗車で横軽通過なのに写真は一枚もありません
何のためのカメラ と当時の私を罵りたくなります

長野―戸狩は キハ65510 と記入されており
この車は長野運転所配属でしたが
飯山線にこの車両が入線することはないはずなので ???

乗車券はこちら
東京都区内から東京都区内までの 一筆書きの乗車券です 


購入は立川の日本交通公社
出発の何日か前のある日 経由地・区間キロ数を書いた詳細なメモを片手に
「こんな乗車券が欲しいのですが?」と窓口でお願いすると
「明日来て!」 
まだ 純情な10代 だったので「なぜ?」とも言葉に出さずに退散

翌日再度訪れ
また「こんな乗車券が欲しいのですが?」と窓口でお願いすると
前日とおなじで「明日来て!」 
さすがにこれには「カチッ!!!」
「昨日も同じこと言われたのですが!」とクレーム付けてやっと受理
でも発行はまた数日後だったような気がしてます

それ以来48年 日本交通公社
JTBも含めて 自分からは利用しません
執念深いんです



野沢温泉では2泊して 2日目は 初めてのスキーに挑戦 
こんな年になった今でも毎年何回かは滑るスキー
学生時代は 道具やウエアーをそろえる金がなくて
それ以降では草津温泉でもう一度滑っただけ
本格的に滑り始めたのは30歳を過ぎてからで
一時は年間20日ぐらい滑っていました が
今年(2020年)はとうとう5日にまで減ってしまいました 

上野から長野,戸狩 そして野沢温泉滞在中 の自分の写真が一枚もありません
当時のカメラの使い方なんでしょうかね
もらいものですが 唯一の写真がこれ 


4年生は最後なので記念撮影の一枚ですが 
どういう訳か全員ではないですね
当時と同じ風貌の方はいらっしゃらない と思いますので
お顔丸出しでいきます


野沢温泉の宿からは 自由解散だったようです

1972年2月24日
野沢温泉を後に 戸狩駅から飯山線,信越線の乗り鉄に出かけます


メモでは キハ11 1 と キハ 20 210 に乗車したようです


キハ11 1 ファーストナンバー?
先の記事で EF77 1 の機関車前で記念撮影をしたお人
究極の鉄人で ファーストナンバーもそろえていたはず
もしかすると。。。。
データーベースを覗いてみると ありました,ありました 

引用:HH図書 ファーストナンバー集

乗車した列車は 155D 戸狩934→十日町1257
時刻表では 十日町行ですが 上の写真によると
車両は十日町行と 十日町から越後川口行は 同じ車両のようです 


十日町駅では乗換で時間があったようです
構内ではC56が入替をしている中 雪どんどん降り積もる ですね


構内で入替運転中の C56 130


東京生まれ東京育ちの自分には 雪はとっても楽しい存在
そしてここは飯山線 日本で一二を争う豪雪地帯ですからね


この当時 ムダに縦構図の写真が多い です
何を考えていたのか 訳の分からん若造 やってます

  




137D 十日町1224→越後川口1259 で越後川口到着です


上越線ホームから十日町から乗て来た137Dを見ます

昨年(2019年)3月に撮った 同じような位置からの写真です



こちらも 2019年3月

線路配置には変わりがないようですが 
上越線も飯山線も ホームの屋根などが作り変えられていたり
上越線本線以外の架線が外されていたり しています
全体的には48年前とあまり変わらない雰囲気です


725M 越後川口1359→長岡1424 70系新潟色
02-21

サハ85004に乗車して長岡で下車 その日は友達の家で一泊したようです

つづく

2020/08/26

真夏を百里から常磐線

 

16:30頃 格納庫前に待機していた3機に動きがあって

多くの観客の期待を知らないふりして F-4 3機が格納庫の中に消えていきました。

ちょっと期待していたのに なんでだよぉ~ いくら思っていても

官の決定は覆ることがないのだから 早く気持ちを切り替えるが勝ち!


では 次のミッション と案内人さまから提案されました

「鉄をしましょう!」

驚きの柔軟なさ 空がダメなら鉄


常磐線 神立-高浜 に来ました

17:11 399M 上野→勝田 JRE E531系
入道雲 大きく大きく大きくなあれ 大きくなって天までとどけ!

17:17 82M ときわ82号 JRE E657系 
たった6分で頂上部分がこんなに大きくなりました

82M ときわ82号  /  69M ときわ69号
特急「ときわ」同士の離合です
到着後 たったの数分で出会えるとは それを狙って来ても難しいことです
代替案が 大ヒットです

こちらは 69M
こちらは 82M

これにてすべてのミッション終了です

案内人さま ありがとうございました

爺さまたちも頑張りました

35℃の熱帯のような気温の中 9時から17時まで ずっと炎天下に立ち続け

冷房のある部屋はコンビニでの飲食物購入時のみ という

そんな中でも 誰一人熱中症にもならず遊びに熱中する

恐るべき昭和生まれの爺さま達です 


さて 食事に行きましょう と車に乗ると いままで晴れていたのに雨がポツポツ

実はメンバーには「雨男Tさん」がいらっしゃいました

滑走路際で遊んでいる最中 太陽が出ているにもかかわらず

Hさんに「いつから雨降るんだ?」と散々いじられていたのです

その間 なんのそのと笑顔で対応していた 雨男Tさん

全てのミッションが終了と同時に 雨男の一端を披露

まずはパラパラの夕立で 存在を知らしめ

さらに 食事後 「では皆さん さようなら」と各車に分散

帰路に就いた途端に本領を発揮して 土砂降りの豪雨 を降らせたのです

ニュースによると

石岡地方1時間雨量80mmを超える記録的な雨だったのです

いやぁ 雨男Tさん 中々やりますねぇ

と最初から最後まで 盛りだくさんの一日でした

2020/08/25

真夏を百里で 6

 

この日2回目に離陸したF-4EJ改   こちらの予定よりだいぶ早く帰還です
どうも Touch & Go をしているようで
進入 着陸 即離陸 旋回 進入
を繰り返しているので 若干の時間を利用して丘の上に登ります

17-8437




文字でこの爆音は伝わりません

97-8426





17-8437


Touch & Go 3回ほど繰り返してくれました

先ほどいた 格納庫前の位置に戻ります

16:13 U-125A救難捜索機 32-3021 
今度は U-125Aが Touch & Go を繰り返しています

16:20を過ぎてF-2や大部分のF-4は格納庫の中に入りました

F-2は 飛ばないみたいです

かなり ガッカリ!

そういえばこの日はT-4も上がっていません やはりお盆明け早々だからでしょうか

 3機のF-4だけが 滑走路前に待機しています

夜間訓練があるような気配が濃厚です

何度も目の前を走りすぎるので 60分の1秒に挑戦  でも止っていません

16:30頃 格納庫前に待機していた3機に動きが。。。

いよいよ 夜間訓練開始 でしょうか?

それとも。。。。。。。。