2025/06/09

昔むかし 飯田線 1

昔むかし 飯田線

1  東上ー野田城

50年前のお話
鉄人達と共に飯田線へ旧型国電 旧型電機を眺めにお出かけでした。

1975/6/14
 
東海道本線 豊橋駅

5:30頃 12レ 特急あさかぜ2号 EF65P+PC20系
この旅行最初の写真は EF65 500P が牽引する 12レ あさかぜ

すでに朝の5時半頃に豊橋にいることから
当時の定番列車 347Mで豊橋に早朝到着
飯田線の始発に乗車する前の 一枚 なのでしょう。

当時の写真はデジタル化されて残っていて
コンタクトシートの画像一枚ごとにたったの数文字のメモも残っているのですが
それ以外は 記録も記憶も 全く残っていないのです。

どこに どの列車で行ったのか 行きと帰りに乗車した列車すら解らないのです。 

当時の記録が全くないので 以降の文章は

自身で撮影した写真と数文字のメモ
国鉄監修 交通公社の時刻表1974/10月号
RP416号1983/3月号とじ込み ダイヤグラム 昭和57/11/15改正(1982/11/15)
1975年版国鉄車両配置表 鉄道図書刊行会 
国鉄電車ガイドブック(昭和46/7/31)誠文堂新光社
国鉄電車形式図集(昭和57/11/20)鉄道図書刊行会
伊那松島機関区EL運用表 1975.3改正(飯田辰野間)
などの資料から

推理をしながらの話となりますので
いや!それ違うよね なる記載がありましたらば ごめんなさい


おそらく(以降すべて おそらく たぶんなので) 以下推測部分には
※マークを記し 資料からの推定による表記といたします。

時刻表とにらめっこしながらの作文になるので
1974/10/1改正の飯田線ダイヤグラムを作ってみました
旅客列車は 交通公社の時刻表 1974/10月号
貨物列車はネット情報による 
1975/3/31現の機関車運用図/1時間目盛 から10分単位レベルでの読み取りですので
信頼性はとっても低いですから 参考程度です。 

では 出発です

1975/6/13

東京2330/347M→豊橋440

当時 東海道線下り方向へ出かける時の定番列車 です。
ひとりで乗車する時はグリーン車が必修でしたが
最も混雑する金曜の夜発ですから メンバーたくさんの今回はどうしたのだろう

1975/6/14  飯田線

※621M/休日運休 豊橋538→東上607 に乗車し
飯田線 東上ー野田城間での撮影です。

※1221M 豊橋551→辰野1142 Ec3両編成 豊橋<クハユニ56_Mc50_Mc54100台 
いきなり特徴的な車両 クハユニ56/6両在籍全車豊橋配属  の登場です
1221M辰野行に特徴のあるクハユニ56がつながっていることが
翌日の推測に大きく貢献してきます

※626M Ec4両編成 豊橋<Tc47100代_Mc54100代+Mc54100代_Tc68 
クハ47の狭窓ずらり いいですねぇ

一緒に行動したお友達 みんな この姿+50歳 です 

※623M Ec2両編成 豊橋<Tc65013/Tsc59改造_Mc54100台


※628M Ec4両+2両 豊橋<Mc54100台_T87001_T48034_Mc42+Mc54_Tc68
 2.3,4両目は2ドア車という 豪勢な編成です

流電の登場です

※630M Ec4連 豊橋<Mc52狭窓_Tc65400偶_T48021_Mc52広窓


辰野側狭窓 豊橋側広窓 4両すべてが特徴のある車両で 嬉しい編成です 

※632M 中部天竜→豊橋 Ec4連+2連
豊橋<Mc52広窓_T75100台_T75100台_Nc52狭窓+Mc42_Tc68/D6窓D


こちらも豪華な編成です
豊橋側4両は 流電広窓+サロ改造サハ2両+流電狭窓  見ているだけで楽しいですね

通常 車両の向きは
東京向きが奇数車 大阪向きが偶数車 と決まっていますが
飯田線は 色々な車が集まっているのでその基準通りではないそうです。
(国電再入門/鉄道図書刊行会 P40による)
流電狭窓車は 001 002しかないので 規則通りなら
辰野向きが002 豊橋向きが001 のはずですが どうなのでしょうね

Ec2連 豊橋<Mc53007or8_Tc680038or042但トイレ窓有

いやぁ すごい
まさに 旧型国電の博物館 ですね
つづく

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